デカ大江デカ広元
公開
2023-02-19 23:45
デカすぎて京に収まりきらず追い出されてしまった官人。
中原姓を称していたがあまりにデカすぎるので大江姓を名乗るようになった。
「大」に「広」というデカすぎる名前がとても気に入っている。
鎌倉幕府に対する貢献も非常にデカかったが、あまりにもデカすぎたため源頼朝は最期までその存在に気付くことはなかった。
承久の乱においてはあまりにもデカすぎるため鎌倉に居ながら京の後鳥羽院をつまみ、
そのまま隠岐の島へ置き去りにしてしまった。
執権北条義時はこの時初めて広元の存在に気付いたと言われている。
晩年は口癖のように「成人してから小さかったことがない」と繰り返し己のデカさに対する誇りを忘れなかった。
近年の研究により乳首は小さかったことが判明している。
自らの所領であるデカ盛り荘(でかもりのしょう)を継いだ四男の季光は父譲りのデカさによってデカ毛利氏(でかもりし)の祖となった。
季光がデカ盛りしすぎた丼からこぼれ落ちたいくらの雪崩によって生まれたのが津久井湖と宮ヶ瀬湖と言われている。
デカ毛利氏の末裔には神が6日かけて作り上げた世界を「創世」の一言で生み出してしまったデカ毛利デカ親などもおり、その血筋は非常にデカい。